16時間ファスティングは、1日のうち16時間は何も食べず、残りの8時間で食事を済ませる食事法です。胃腸を休ませることで腸内環境の改善(腸活)が期待できる一方で、やり方を間違えると逆効果になることもあるため注意が必要です。
腸内環境を整える、いわゆる腸活をしたいと思っている。
というのも、内臓脂肪が気になっているからだ。
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腸内環境を整える、いわゆる腸活をしたいと思っている。
というのも、内臓脂肪が気になっているからだ。
続きを読む--- democracy と isms を切り分けて考える
たまに、Xとかで見かけてモンニョリしている。
「民主主義を守る」とは、具体的に何を守る主張なのかなと。
と思い少し言葉の意味とかを調べてみると、どうやら違和感が見えてきた気がするぞということでまとめてみた。
英語にしてみるにあたり、主義と付く代表的なものを3つ取り上げた。
この3つは、三竦みになる主義として代表的なので挙げた。
これを英語にすると、
とすべて、 isms になる。
民主主義は、 democracy で、 -ism が付かない。
democracyism とか democratism とはならないとのこと。
democracy の語源は、古代ギリシャ語の dēmokratía(デーモクラティアー)で、これは「人民・民衆・大衆」などを意味する dêmos(デーモス)と、「権力・支配」などを意味する kratos(クラトス)を組み合わせたもので、「人民権力」「民衆支配」「国民主権」などの意味を持つ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E4%B8%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9 より。
democracy は、 誰が支配するか を意味しており、 何が正しいか ではない。
つまり、価値判断の原理 (ism) ではなく、意志決定の制度のことを意味していると言える。
どちらかというと、民主主義というより、民主制なんだよな。
日本語って難しい。
democracy は日本語に訳すと「民主主義」となる。が、主義じゃない。のに、主義がくっつくことで ism 的な意味を勝手に背負わせちゃってるんだ。
なので、
のように捉えられ、「民主主義を守れ」という思想のように伝わってしまうのかなーと。
第3部_[国民主権]2.国民主権と民主主義制度の在り方 - 参議院憲法審査会 で「民主主義制度」という言葉がでている。
いろいろと書いてあるが、「民主主義」という主義に関する説明ではなく、「民主制」という制度について説明していて、主義そのものの存在は無いと読めた。(ざっと読んだ所感なので違うかもしれないが…)
言葉だけ見ると「民主主義」という主義に関する制度がありそうなのだが、やはり違うみたいだ。
民主主義って何だろう? - 東京都教育委員会 を読んでも、やはり、主義そのものの説明はなく、「民主制」の説明をしている。
民主制は、
といった制度設計の集合のことであり、独立した民主主義というismは存在しないっぽい。
言葉遊びのようなことから深掘りしてみたが、
ということなので、
「民主主義を守れ」
という言葉に対しては、
という問い返す態度も必要なのかと思った。
言葉を疑うと思想を知り具体の解像度が上がってくる。
「民主主義」というismは存在せず、「民主制」に基づいた主義の主張をしたり聞いたりしたいな。
おそらく民主制は機能しているんだよな。
大晦日にベロベロで筆をとっています。
2025年は、なんだか仕事のプレッシャーがあったなーという一年だった。
思うように振るえない歯痒さみたいなのもよくあり、根気とポジティブが求められるなーという感じだった。
そんな中でも 2025年に参加したマラソン・トレランをふりかえり - 毎日Learning で書いたような趣味の時間を持てた。
とはいえ、趣味にもなんだか影響を受けるぐらいの仕事な感じだったなーという所感はある。
だいたい、仕事で振るえないってなんなのかなって思ったりもする。
続きを読む登壇してきましたー
一度は、デブサミで登壇してみたいと思い続けてはや10年ぐらいが経ちました。
タイミングよく発表したいネタがあるんだよなーというときに、公募に気付けたので、応募しました。
このあたりのネタがあり、発表する気概もある状態で、公募に気付けるかどうかってあるよなって思ってます。
なんとなく、登壇の機会を得られるかどうかって、ご縁だなって思うところあります。
いまの現場に2024年10月にジョインしたときから、何をしてきたかを中心に、そのときどういった考えに基づいていたのかを言語化しました。
技術的負債ってふわっとしていますし、思っていることや実体が異なったり、どこにフォーカスするかによっても文脈変わってくるので、そのあたりをどうやって埋めていったか、何にフォーカスしたか、それはなぜそうしたのか、どうやって解消していくのか、といったあたりのコミュニケーションの取り方をお話できたような気がします。
とはいえ、これは、私の視座におけるアプローチであり、人によってはここから行かないとかあると思います。
目指すべき山が何で、そこにいたるとどうなるのか、もちろん行ってみないと分からないんだけど、ある程度の仮説は欲しいよねの、ある程度感っていうのをどうやって合意形成しながら進み続けるといいのかなっていうあたりの向き合い方的なのの言語化です。
プロダクトが中心にあり、どうやるかが周りにあるんだけど、そのどうやるかをどうやるかっていう話もしたりしていたので、コア→メタ→メタメタな話って感じです。
Ask the speaker で御声がけいただきました皆様、本当にありがとうございました。
何らかしかの反応をいただけると、本当にうれしいです。
登壇するときには、ほんと、なにかちょっとでも刺さればいいなーと思っており、とくに刺さらなくても自身の言語化機会として活きるから、とにかく話したいことを話すっていうモチベーションで取り組んでいるのですが、そんな最後はひとりよがりの発表に反応いただけるのがとてもうれしいです。
また、職場の上長や同僚の皆様、ありがとうございました。
私の視座で勝手に切り取った話を外向けにしているので、そこはどうかなーっていうところもあると思いますので、そういったところをぜひ議論できたらなと思ったりもします。
正直、控室がめちゃくちゃよかったです。
登壇者は、開催期間中、控室を利用できるということで、自分の登壇と聴講以外は、控室で仕事をしておりました。
それだけでも大変ありがたいのですが、他の登壇者の方と交流することもできちゃいます。
聴講した内容も勿論、自身の状態も含めて雑談や相談できたりしちゃうのが控室さいこーかよって思いました。
なので、みなさん、登壇されるのをオススメします。
控室であんな方やこんな方と、けっこうガッツリ議論する時間を持てたりします。
SNS上でしかコミュニケーションとれていなかった方とか、一方的にフォローしている方と直接お話できる機会はありがたいです。
デブサミ、また機会があればぜひ登壇したいと思いました。
ありがとうございました。
ぽえむです。
社歴が浅いこの現場で、機能をローンチした経験のない私に、なぜか既存ドメインについての質問をいただく。 質問してくださる方々は、私より社歴が長く、実際にプロダクトを開発・運用してきたご経験を持っている。
この状況から見えてくるのは、多くの開発者が ドメインを理解せずに開発を続けている という仮設である。
「多くの開発現場では、既存システムの全体像や設計思想を深く理解せずに、局所的な修正や機能追加を繰り返すことがよくある」
確かに「よくある」かもしれない。しかし、情報が溢れ、設計パターンやドメイン駆動設計の知識が広く共有されている現代において、なお思考停止的な開発を続けることがなぜ起こるのだろうか。
「よくある」と言えてしまうぐらい一般的な問題だからこそ、私たちはそれを打破すべきなのだ。
この状況を見ていると、構造主義と脱構築の問題を思い出す。人は既存の構造に無意識に従い、その構造自体を問い直すことができない。
開発現場における構造とは:
多くの開発者は、この構造の中で思考停止し、要件を短視眼的な設計に落とし込む。技術的負債を生み出しながら、それを「成果」として評価される。まるでギャンブルで得られる一時的な快楽に依存するように。
振り返ってみると、私には「プリミティブな体験」があった。挫折を経て、できるようになりたいと一念発起し、時間を忘れて勉強した。誰よりも一所懸命取り組んだ。
しかし、なぜ他の人はそうしないのか?
ニーチェは人間の根本的な駆動力を「力への意志」と呼んだ。これは単なる権力欲ではなく、「自己を超克し、成長し、創造する意志」を指す。
私の行動は、まさにこの「力への意志」の現れかもしれない: - 既存の「動けばいい」という価値観を拒否 - より高次の設計を追求 - 新たな価値(持続可能な開発)を創造しようとする
一方、既存の構造に安住する人々は、ニーチェの言う「畜群」的な生き方をしているのかもしれない。
「人は痛みや危機感なしに既存の構造から脱却することは難しい」
この観察は加速主義的な視点を含んでいる。現在の思考停止的な開発を続けることで、いずれシステムは破綻する。その破綻が、真の変革のきっかけとなる可能性がある。
しかし、意図的に破綻を加速させることは倫理的に正しいだろうか?顧客や事業に実害をもたらすことを待つべきだろうか?
単純な破壊や加速ではなく、以下のようなアプローチが必要かもしれない:
構造の可視化
小さな成功体験の創出
対話と教育
構造を認識し、それを脱構築しようとする道は孤独だ。しかし、その孤独な戦いを通じて、少しずつでも組織の文化を変えていくことができるかもしれない。
「よくある」を「あってはならない」に変える。その意識と行動が、より良い開発文化を作る第一歩となる。
思考停止的な開発から脱却し、ドメインと向き合う。それは単なる技術的な課題ではなく、私たち開発者の生き方そのものへの問いかけなのかもしれない。