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夏休みの宿題をカンバンで見える化した

こちらの記事は、 子育てエンジニア Advent Calendar 2019 の 8日目です。

今年、小学6年生になる子がおりまして、小学1年生のころから夏休みの宿題をカンバンで見える化してました。

今年で晴れて小学生を卒業する予定ですので、6年間の夏休みの宿題メモリアルも兼ねてふりかえってみようと思います。

まずは、6年間のカンバンの写真と共に、どんな風だったかを思い出しつつ、最後にKPTでまとめます。

思い出

1年生

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はじめてのカンバン。

カンバンを作ってみようと私が提案するになった経緯としましては、妻の「宿題どうなってるの?できたの?」と聞いていたことがきっかけです。

この質問って、小学1年生からすると、難易度の高い質問だなぁと思いました。

宿題がどうなっているのか、できたのか、なにをもって「できた」というのか… 子としてはできたと思っているので、できたと答えるが、それは親の思う「できた」とは違っていたりする… ゴールの共通認識を持つ過程を持てていただろうか… いきなり全部「できた」になることはできない… ので、今日の進捗として、どこまで出来ていると「できた」になるのだろうか…

みたいなことが、私の中でばーっと疑問になりました。

これは、そもそも、DONEの定義ができておらず、今日どこまでそれをやれば良いのかが、親子の間で共通認識になっていないことが原因だなと想定しました。

とはいえ、1つずつ宿題について共通認識を持って、じゃあ今日はここからここまでやりましょうねって管理するのもセルフマネジメントの感覚が育たなくとなるとなぁと少し躊躇するところもあり…

ひとまず、宿題がどんだけあって、今日、どこまでやったかが見えて、親としてはここまで進んで欲しいなっていうのを、付箋でざっくり示せて、子としても、その付箋たちが終われば良いのねって直感的に分かりやすくて、認識のズレが少なくできるよねって感じを想定した。

なので、子に、「とりあえず、宿題を全部付箋に書こう」「粒度はあまり気にしなくていいよ」「ここに書いた付箋が全部おわりのところに行ったら終わりになるね」「できたかどうか、お母さんに見てもらうと良いかな」「とりあえず書きだしてみよ」みたいなことを言って、付箋に書いてもらった。

子が宿題を終えたと思ったら、付箋を「おかあさん」レーンに移すので、親はその付箋に書かれている宿題を確認して、問題なければ、子が「おわり」のレーンに付箋を貼りつける、という流れを実践してもらった。

この取り組みをはじめて、最初に良いなと思ったのは、親が仕事から帰ってくると一目で進捗が分かるというところです。 今日は進んだなーとか、順調だなーというのが、子に聞く必要なく見えます。

また、妻と子の会話でも、「今日は付箋何枚するの?」といった具体的な取り組む目標を共通認識にすることができて、それができたら遊んでいいという免罪符を得ることができます。 「できた」「できてない」という形の見えない不毛なストレスのぶつけ合いを減らすことができたのが、すごい良かったと思いました。

2年生

1年生は、半ば強制的にカンバンを導入したので、それが良かったのか悪かったのか、子からのフィードバックも要領を得なかったので、2年生の最初は、カンバンを導入しないで、一回、放置してみました。

夏休みの後半ぐらいになって、やっぱりどんだけ残っているのか、全然分からんって状態になりました。

終わったのか終わってないのかよー分からん状態です。

なので、「とりあえず、残っている宿題を全部付箋に書くんやー」「粒度は気にしないで良いよ」「とりあえず付箋に書こ」と言って貼り出してもらいました。

すると、終わったと思っていたものも終わっておらず、想定していた以上に宿題が残っていることが分かりました。

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じゃあ、「これを全部終わらせたら終わりだね。とはいえ、いきなり全部終わらせるのはできないから、今日はこれとこれができるかな?」「どれだけ出来るか最初は分からないと思うからできそうな枚数をやってみよう」「残りの日数を考えると、一日◯枚の付箋を終わらせていかないといけないね」「逆に言うと◯枚を一日で終わらせれば遊べるね」みたいなことを言って、整理して実施してもらうようにしました。

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この年は、宿題を消化するリズムを作るために、その日にする量を一緒に相談しながら、「今日はこんだけやろうね」みたいなことを話して取り組んでいました。

この年で思ったのは、カンバンが無いとやっぱり宿題がどれだけあるのか、親も子も分からないってこと。

取り組むリズムを導くと、あとは自走できる。(ただし本人の意思のほうが重要。やるかやらないかを自ら決断できるかどうかは親にコントロールできることではない)

3年生と1年生

3年生になって、下の子が1年生になり、カンバンを2つ運用するようになりました。

下の子の↓ f:id:yoshiyoshifujii:20160727134547j:plain

上の子の↓ f:id:yoshiyoshifujii:20160727134555j:plain

下の子は、毎年、上の子がやっているのを見ており、なんとなくニュアンスを分かっている様子はありながらも、初めてのカンバンですし、付箋にたくさん書くのも大変なので、親の誘導によりカンバンを作ることができました。

上の子は3回目で慣れたもので、どんどん自分で工夫してカンバンを作るようになりました。

付箋の作り方も粒度が大分そろうようになっていて、漢字ドリルや計算ドリルの1ページずつを付箋1枚にして、大体、1枚の付箋を終わらせるのに必要な見積りもそろってくるようになっていました。

この年は、上の子が下の子に、どうやってカンバンを使うと良いのかレクチャーしたりと、「終わったやつをこっちに貼るんやで」みたいな会話もあり、自走しているなーと思いました。

なお、カンバンを作るあたりは、妻に完全に主導していただき、この年、私はカンバンについて、まったくタッチしておりませんでした。

4年生と2年生

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この年から、上の子が完全に主導でカンバンを作るようになっていました。親は模造紙と付箋紙を用意するだけで、カンバンの作り方も上の子のやりたいようにやっていました。

私は家に帰ってきたら、このカンバンができており「おおーー!完全に自走している!」と感動したのを憶えています。

下の子も、上の子の主導はありましたが、付箋の動かし方について、完全に自分なりのこだわりを持っており、付箋を動かすのを楽しみながら宿題に取り組んでいました。

夏休みの宿題をカンバンにすると、ゲーミング性を出せるのが良いなーと思いました。

私自信が子供のとき、夏休みの宿題は苦行で、ひとつも楽しむ要素など見出せませんでしたが、カンバンだと本当にはっきりと、あとどれだけやれば良いのかが分かります。

付箋を動かしていくだけなのに、不思議ですよね。

5年生と3年生

←が下の子で→が上の子 f:id:yoshiyoshifujii:20180728080802j:plain

この年も帰ってきたらカンバンが出来ていました。

夏休みの宿題はこれをしないと出来ないぐらいに定着している感じでした。

当然のようにカンバンが作られて、宿題に取り組む流れができていました。

ただ、5年生になった上の子は、宿題の量が多くなり付箋がかなり枚数必要になっていました。

同じドリルを2回しないといけないとかで、同じ付箋を2回しないと終われないということで、全然進捗がでない日々が続いていました。

また、多感な年頃でもあり、宿題に集中できず遊びたい欲求と戦えず負け、そのまま流されて進捗がでず…やらないといけないと思いながらも現実から逃げる日々…

と苦労していました。

カンバンで見えているので、進捗でていないことが分かります。とはいえ成果物についてチェックされていないので、やった風で付箋を移し、後になってバレて…みたいな手戻り発生したりしていました。

レビューをはさまないカンバンでの運用になっていたので、成果物についてDONEにするのは子であるというあたりは、見直す必要があったんだろうなーと思いました。

この年は、上の子の取り組むリズムをカンバンで作ることができず、別途、「今日はどれだけやるの?」「何時にやるの?」「いま遊んでて終わるの?」などなど、めったやたらと背中を押したりケツをひっぱたいたりしてやっていた記憶があります。

むずかしいですね…

6年生と4年生

←が下の子で→が上の子 f:id:yoshiyoshifujii:20190724074048j:plain

この年も自然とカンバンができていました。

が、前年のふりかえりをしていないので、カンバンにカイゼンが適用されていません。

このあたりは、ふりかえりって重要だし、Tryを翌年まで残しておいて、そのTryについて考えるキックオフみたいなのをやるべきだったし、模造紙のカンバンは変化に弱いのでホワイトボードが良いなーって思ったり、いろいろとモヤモヤしました。

が、カンバン以外のところで、生活のリズムを整えて、毎日消化していこうというヒューマンマネジメントをしていたので、カンバンというよりタスクボードとして活用されていました。

カンバンって、ふりかえって、Tryを反映していくと良いんだけど、特に例年どおりとか、イテレーティブに変えていかないと、途端にタスクボードになるんだなーって思いました。

カンバンはナマモノとして常に進化させると、とても良いですよね。

まとめ

KPTでまとめるが、これは私のみの主観になっているので、別途、家族でKPTしようと思います。

Keep

  • 夏休みの宿題はカンバンで見える化する
  • 子達の意思でカンバンを作る

Problem

  • 段々と固定化されてタスクボード化している
  • 成果物をごまかして手戻りになった
  • イテレーティブなふりかえりができていない
  • 模造紙をもったいながってカンバンを変化できていない
  • リズムをカンバンに表現できていない

Try

  • イテレーティブなふりかえりをする
  • 朝会をする
  • 模造紙をたくさん購入してがんがん変化しても良いよって状態を作る

感想

6年間やってみて、見えるのは親も子も精神的にいいですよね。

見えないものをあーだこーだ言うとどうしても感情が出てきますから…

ただ、宿題ってどうしても個人タスクなので、親は手伝いにくいですしチームとしてカンバンを導入しているという感じでもないので、やはりカンバンは子の持ち物ですよね。

あまり親がしゃしゃり過ぎるのも良くないと自戒しつつ、相談して今後もやっていけると良いなと思いました。